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松井修三の「思ったこと、感じたこと」

「丁寧な仕事に敬意を払う文化」を
破壊する人たち

04年版ベスト・エッセイ集(文芸春秋)の最初に、辰濃和男さんの「海のとき、都会のとき」というエッセイが掲載されていた。

これはその一節である。


<明治の初め、名工、川尻治助は、岐阜県丹生川村で田上家を建てています。見学していて、長い間立ちつくすほどのできばえです。飛騨では「丁寧な仕事をする人こそ名人だ」 という言い方をよく聞きましたが、丁寧に、ひたすら丁寧に造られた屋敷でした。

「完成まで十二年かかりました」といまのご当主から聞き、「えっ、十二年ですか」と聞き返してしまいました。

最後の日、治助は「よう気長にやらせてくださった。もうこんでおれのかまうところはのうなってしまった。今日でひまをもらってゆく」と頭を下げて去るのです。

治助自身は十二年の歳月を思い、充実した思いで家路についたことでしょう。が、家族は赤貧のなかにあったそうです。そういう矛盾のなかでも飛騨の匠は仕事に誇りを持ちつづけました。

いや、昭和の初期までは、そういうゆるやかなときの流れがあって、それこそが匠の文化を支えたのです。時代のせわしさが、丁寧な仕事に敬意を払う文化を日々、破壊してゆきました。>


この一節を読みながら、つい最近の新聞の広告を思い浮かべた。それはダイワハウスの広告である。

<1955年、大和ハウス工業株式会社は誕生しました。

建築の工業化の夢を描き、社名には「工業」の文字。

創業当時の商品はこのパイプハウス。

職人に頼る木材建築が中心だった日本に、部品を工場で大量生産し、現場では主に組み立てるだけ、という建築の工業化が始まった瞬間でした。>


家と称されるものであっても、造り手によってかくも違ったものになることに愕然とする。

一手余分に掛ける労を喜びとして造られた家には、住む人を癒す温もり、パワーが宿されている。だから、飽きることがない。年々味わい、喜び、楽しさが増していく。

しかし、一手余分に掛けることを損だと考える人によって造られた家には、「簡単」という虚しさが漂っている。だから、すぐに飽きてしまう。年々増すのは不満であり、後悔であり、ストレスである。

家づくりにおいては、「安く、早く、簡単」は、確実に高くつき、損なのだ。見積もり合わせをする人には、このことが分からない。材料や手間代を金額だけで比較する愚に気がつかない。住み心地の質は、手を掛け、手を尽くす度合いによって大きく異なるものになるということにも鈍感だ。


ダイワハウスをはじめ工業化住宅の造り手たちは、「簡単に造って、より儲けを増やす」ことを最善と考える。住む人の幸せを第一義とする家づくりの対極の考えだ。

いずれにしても、大量生産販売の造り手たちが、「丁寧な仕事に敬意を払う文化」を破壊し続けているのは紛れもない事実ではなかろうか。

松井修三プロフィール
  • 松井 修三 プロフィール
  • 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
  • 1961年中央大学法律学科卒。
  • 1972年マツミハウジング株式会社創業。
  • 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
  • 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
  • 現在マツミハウジング(株)相談役
  • 著書新「いい家」が欲しい。(創英社/三省堂書店)「涼温な家」(創英社/三省堂書店)「家に何を求めるのか」(創英社/三省堂書店)