純米酒と父と母
「日本酒は本来純米酒でした。米を醗酵させて搾ったお酒が純米酒であり、かつてはそれが日本酒そのものであったわけです。ところが、第二次世界大戦による食糧不足の時代、少量の米から大量の酒を造るために、アルコールや調味料を加えて二倍にも三倍にも増量する製法が生まれました。まさに時代の要請に応じた緊急避難的製法が考案されたのです。
このような増量製法はとっくの昔にその歴史的使命を終えているはずなのに、未だに幅をきかせ日本酒の90%以上を占めているのは何故でしょうか。
原価が安い、均質の酒を大量生産するのに適している等々、メーカーにとって大変好都合だということもありますが、何よりも純米酒のすばらしさを消費者の皆様にお伝えできていないことが最大の原因であろうと反省し、この小冊子を作成しました。
一切の添加物がない純米酒は、原料の水と米、そして造り手の技と心が反映された個性豊かな風土の酒であるとも言えます。」
(蔵元交流会が発行している「純米酒のすすめ」より)
この一文を読んで、手づくりの家も純米酒のようなものだとつくづく思った。
一方、量産住宅は「原価が安い、均質の家を大量生産するのに適している等々、メーカーにとって大変好都合」なのである。
日頃、家づくりに感じていることが、酒づくりにもそっくり当てはまっていたのかと驚かされた。
父は、大変な酒好きだったが、私は、さかずき一杯も飲めない母親の体質を受け継いだせいか、ほとんど飲めない。
でも正月には、現場監督の中に秋田の小玉酒造の息子がいて、彼からもらう太平山の純米大吟醸「天巧」を飲む。
純米酒は、ぬる燗が基本で、ちょうど良い温度に燗をすると劇的においしくなるそうだ。そう言えば父は、かたわらに置いた火鉢の上にやかんをのせて、お湯の音を聞きながらゆっくりと温めて飲んでいた。
「こんなうまいものが飲めない奴は本当に不幸ものだ」と嘆きながらも、私が創業するときに、「約軽しといえども、これ重んずべし」と書いた軸をくれた。それは今も事務所に掲げて、座右の銘としている。
契約書も大事だが、お客様の期待に応えることはそれ以上に大事なのだと、と教えてくれている。
父は72歳で肝臓を悪くし、見舞いに行った私に「もう、十分飲んだ。ありがとう」と言い残してこの世を去った。父と息子の積年の確執は、「ありがとう」のひとことできれいに消えた。
その確執に、母はさぞかしつらい思いをした時があったと思う。
98歳になる母を見舞いに行ってきた。帰り際に握手したその手のひらから、なんとも言えないやさしさと温かみが伝わってきた。
「私の手のひらのように、やさしさと温かみにあふれた家を、手をかけ、手を尽くして造って下さいね」という母の願いを感じて胸を打たれた。
- 新しい家のカタチ
- 「丁寧な仕事に敬意を払う文化」を破壊する人たち
- 純米酒と父と母
- 心の涙で泣く人間
- からだで感じ、からだで考えるならば
- ロボットが造る家
- 妻が喜ぶ家を
- 自足できる家
- 工務店にしか造れない家
- 91歳で建て替える
- ある精神科医の話
- 住み心地は百薬の長
- 色のある屋根
- 「明るくて広い部屋」
- 住み心地の保証
- 税金は軽くなるとしても
- 松井 修三 プロフィール
- 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
- 1961年中央大学法律学科卒。
- 1972年マツミハウジング株式会社創業。
- 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
- 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
- 現在マツミハウジング(株)相談役
- 著書新「いい家」が欲しい。(創英社/三省堂書店)「涼温な家」(創英社/三省堂書店)「家に何を求めるのか」(創英社/三省堂書店)