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2012年6月22日
「原発なくせば」の幻想
この夏は節電と火力発電所のフル稼働で乗り切れるはずなのに、との不満はなお残っている。しかし、老朽化した火力発電でトラブルでも起きれば、たちまち大停電の危機に直面する。病気療養中の人などは命の危険にさらされる。
それひとつとっても、ギリギリの電力供給や自主性頼みの節電努力というあやうい「綱渡り」を選んで良いはずがない。大飯再稼働は当然の判断だった。
これから世の中の関心は、他の原発再稼働の是非に移ってゆくだろう。
福島原発事故の過酷さや、今なお帰る場所もない人を思えば、原発への不信、嫌悪は当面避けられないかもしれない。しかし今、原発停止でわれわれが支払う「代償」の大きさにも冷静に思いをはせたい。
例えば、代替電源として輸入する石油や天然ガス調達で、年3兆円近いお金が海外に流れ出る。その分電力料金は上がり暮らしを圧迫する。企業は海外に逃げ、職を失う人も増えるだろう。エネルギー安全保障も危うくなる。
こう書けば、「それは経済の論理である。命の方が大切なのだ」という反発が必ずあるだろう。
しかし、経済活動は暮らしや命そのものである。失業や生活苦による自殺の増加などの形で暮らしを脅かす。化石燃料多様が大気汚染を経由して命をむしばむこともある。社会基盤の弱体化は、次世代に引き継ぐべき「未来」を奪うかもしれない。代替するあてのない原発停止の代償は過小評価すべきではない。
原発を止めれば命や未来を守れる、と思うのは幻想だと思う。現実を直視せず、嫌原発や不信の連鎖に流されて、今後の原発政策を論じるのは危険だ。
もちろん冷静な議論には、ふさわしい環境がなければならない。政治は、新たな規制組織や法に基づく新しい安全基準を急ぐことはもちろん、中長期のエネルギー政策を早く示すことだ。過度に不信と嫌悪に傾いた今を正常化したい。
平成24年6月17日 読売新聞